日本彩生-失われた縄文を求めて-

東京を離れ地方へ移住。古代縄文に想いを馳せながら、現代ニホンと融和させることを目指す人のブログ。

縄文人の間違った解釈!アイヌ人とオホーツク人の違い

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かつての北海道(正確には今も)には、縄文人と呼ばれる日本人のルーツとなった人々と、それとは別の系統を持つ道東のオホーツク海沿岸に居住していたオホーツク人という2つのグループが存在していたのをご存知でしょうか。

 

よく、オホーツク人が縄文人であり彼らこそ北海道の原住民だ!というような間違った解釈をしている人がいますが、オホーツク人は古墳時代頃にサハリンから南下してきた人々であり、その頃に既に先住していた縄文人とはまったく別の人々です。

 

オホーツク人は、サハリン北部に今も居住する少数民族ニブフと同系統だという見方が濃厚で、13世紀頃にはアイヌの人々の中に既に同化されてしまっています。つまり、今の北海道にニブフの人々は存在していません。

 

そして、その頃に既に先住していた縄文人こそが、日本民族の祖とも言えるアイヌの人々です。これは最近のDNA解析などの研究でだんだんと明らかになってきたことで、調査結果もきちんと公表されていますのでぜひ調べてみてください。ここを間違って捉えてしまうと、頭の中がミスリードされてしまい大変な誤解を生んでしまうので要注意ですよ。

 

最近では、適当なことを吹聴したYouTube動画やブログなどを見てしまい、誤った解釈に誘導された結果、アイヌの人たちに対して憤慨したり息巻いたりしている人をたまに見かけますが、こういう人を見るにつけとても残念に思ってしまいます。よく調べもしないでそっち側の情報を鵜呑みにしてしまったり、差別を助長する方向へ洗脳誘導されたりして、まんまと情報統制の罠にハマってしまっている人をチラホラ見かけます。長く北海道に暮らしている道民ですらこのような有り様なのは、なんとも情けないですよ…

 

ところで、縄文から続く先住民でありながら、なぜ政府は日本人とアイヌ人を分けて捉えたのでしょう。そもそも、なぜ「アイヌ民族」という個別の名称で呼ばれるようになったのか不可解に思いませんか?

 

アイヌという名称は、戦前の頃、特定の名称を持たない当時のアイヌの人たちを「土人」と蔑称で呼び続けることを危惧した東條英機が、彼らを「アイヌ」という名称で呼ぶようことを提案したのが始まりといわれています。

 

でも、あえて名前をつけて日本人と分けたあたりに、なんらかの意図を感じはしないでしょうか?だって、彼らはれっきとした日本人であり、むしろ弥生の血が入って薄まった現代の日本人よりも濃い純日本人であるといえる。現代の日本人とDNAだって同系統であることは紛れもない事実なんですよ。それをあたかも別の民族のように扱うのっておかしいと思いませんか??!!これこそまさに分断工作では?と思ってしまいます。

 

この国の教育は、なんともおかしな方向にねじ曲げられてはいないでしょうか…もともと何万年とこの地にいて文化を繋いできた縄文人を押し退けて、後になって大陸から入ってきたヤマト朝廷側の弥生人が正当な日本人と名乗る国。日本。。これって、何千年もかけて民族浄化されているってことなんじゃないでしょうか? 

 

遠く遠く離れて暮らす自分たちのおじいちゃんおばあちゃんを、赤の他人扱いしているのと同じくらいの違和感を覚えてしまいます。

 

戦後(実は明治維新から?)の日本の教育がおかしな方向に向かったことの表れなんでしょうけれど、アイヌの人たちは古代からこの日本列島に定住していた元祖日本人です。縄文という全てと調和した文化を長きに渡って築いてくれた日本人の開祖です。そして、それは沖縄も同様です…

 

これらの元祖日本人の血脈が、いま危機に直面しています。日本人は、これをきちんと認識しなければいけない。そういう時代にいるのです。

 

アイヌの人のDNAと沖縄の人のDNAは、なぜか本州の日本人よりも近いそうです。 これの意味するところがわかりますか…?